13:恐怖、戦い、裏切り
「――葉奈っ、葉奈ぁ……っ!」
「あ……あぁぁ、うそ、うそっ……」
恵美と莉果の声が鼓膜を震わせ、しかし脳がそれと理解するには及ばずに意識の中を素通りしていった。
ぼんやりと霞のかかった視界。鉄錆のような赤い臭いが鼻をつく。
――死ぬんだ。私、今、ここで。
思っていたよりもあっさりと、そう認識できた。死にたくない――今までずっと、そう思っていたはずなのに。
「――ごめんなさいね――葉奈。一発で楽にしてあげられなくて……」
優しい――これ以上ないと思えるほど、優しい声。これは――あぁ、神月さん、だ。
聴覚が意識のなかに戻ってきたようだった。急に周りの音が頭に響きだした。
狂ったように、嘘、と繰り返す莉果。微笑を浮かべて葉奈に優しい言葉をかける十夜。
――ぞっとした。十夜の微笑と、その声音の――恐ろしいまでの優しさに。
「痛い、でしょう?――安心して、次で終わらせてあげるから――」
同時に、下ろしていた銃を再び構えなおした。
優しい声だった。心から相手を思いやるような。
――葉奈は何か言おうとしたが、喉から血の塊が押し出されただけだった。
あぁ、だめ、だめ。この人は――狂っている。
十夜は笑っていた。優しく、慈愛に満ちた表情で。
「――葉奈……ごめんっ」
――言ったのは、十夜ではなく恵美だった。
意味を測りかねた葉奈の目の前で、――景色が、動いた。
「ぁぁあああああっ!!」
気合を発する声。
それからは、一瞬だった。
ひゅっ、空気を裂く鋭い音。がつっ、硬く鈍い、打撃音。
「っ……!!」
呻きが聞こえ、ごとっ、何かが落ちる音がした。
「痛……っ……」
「――葉奈――守れなかった。けど、まだ――」
さっきまでモップだった棒を構えた恵美が、右手を押さえてうつむく十夜を見下ろしていた。銃は、その足元に落ちていた。
「まだ、助かるよ。助ける。私が――助けるからっ」
言って、もう一度、手にした棒で空を裂く。手を狙われた十夜がわずかに後ずさった。
「守れなくてごめん。でも、助けるから――助けることはできるからっ」
葉奈の耳に、悲痛なまでの叫びが入り込んできた。葉奈を思い、嘆く声。葉奈を守ろうと、目の前の敵――そう、さっきまでクラスメイトだった敵に、立ち向かうその雄姿。
――充分だった。こんなに、自分を思ってくれる人がいるのだから。もう、充分だ。
「神月――消えて。あんたはここにいていい人間じゃない。……今すぐ消えて」
恵美は静かに言って三度棒を振った。十夜がさっと身を退く。
葉奈は決意し、口を開いた。血が喉に詰まり、二、三度咳き込む。それに気づき、他の3人がこちらへ目を向けた。
「いい――もう、いい、よ……」
「葉奈……?」
「もう、いいから……戦う、のは、もう……クラス、メイト、でしょ……?」
途切れ途切れだったが、言いたいことは伝わった、と思う、多分。恵美は驚いたように目を見開いた。
「葉奈――だって、こいつはあんたを――」
「いいの、もう――だって、私、もう――」
――――――私、もう、死ぬから。
続きを言葉にする前に、葉奈はかろうじて上げていた顔を、がくりと床に落とした。
「葉奈っ!?――葉奈!!」
「嫌っ……嘘、うそよぉっ!!」
二人が悲鳴を上げる。しかしそれは、もう葉奈の耳には届いていなかった。
床を染める出血の勢いが、徐々に弱まっていった。
あぁ――何で、こんなことに――なんで、葉奈が……
湯川莉果は、目の前の光景が信じられなかった。さっきまで元気だった葉奈が――死んだ。そう、死んでいた。
床に広がる血溜まり。緊張をまとわりつかせて向かい合う、恵美と十夜。さっきまでクラスメイトだった二人。
狂っている、狂った光景だった。
信じられない。ありえない。こんなの――嘘だ。
「あああああああ……っ!!」
悲鳴にさえならない叫びをあげ、莉果は走り出した。
「え――ちょ、莉果!?何を――」
恵美の声も、耳には入らなかった。ただ、ひとつの思いだけが莉果を突き動かしていた。
逃げなければ――逃げないと――ここから逃げれば、きっと目が覚める――そう、これは夢だ、夢なんだ――
意識の命じるままに、莉果は走った。恵美の横をすり抜け、呆気にとられる十夜を無視して、部屋を抜ける。
部屋を出れば、外は――玄関は、すぐそこだった。震える手で、たっぷり時間をかけて鍵を回し、一気にドアを開ける。
もう、葉奈の死も恵美の声も、どうでも良かった。この悪夢から覚めることが――それだけが、重要だった。
外は、まだ薄暗かった。朝靄の中に――人影があった。
「――――あ――っ」
「――莉果?」
短めの髪をヘアピンで左右に流した、大人しそうな風貌。一瞬ぎくりとしたが、すぐにほっと息をついた。
「桜――さくら、よかったぁ……」
「どうしたの、莉果――?」
水野桜(女子15番)は、いつもどおり、少し自信なさげな笑みで莉果に歩み寄った。
莉果――どうしちゃったんだよ。
恵美の頭の中も混乱気味だったが、十夜と対峙している以上、下手に動くことはできなかった。
「恵美、いいの?――利果、錯乱してたように見えたけど?」
「煩いな――誰のせいだと思ってんだよ」
「あら――私のせい、なのかしら?」
十夜は悪びれもせずに答える。しかし、ここで背を向ければ、十夜が銃を拾って自分を撃つ事はわかりきっている。
「当たり前だろ……私は、あんたを許さないからな」
「あら、怖い……」
おどけるように言って、十夜はくすくすと笑った。
信じられなかった。人を殺して、笑っていられる、なんて。
すでに十夜は狂っているのかもしれない。狂うというのがどんな状態か、厳密にはしらない。だが、今の十夜にこそ、それが当てはまる気がした。
「神月――狂ってるよ。あんたは――狂ってる」
「そう、かしら?」
「あぁ――」
言って、恵美は跳んだ。床に沿って、低く。脚の傷がうずく。
「――!?」
棒を捨て、片手を伸ばす。――そう、先ほど十夜が取り落とした、銃に。
「な――――」
葉奈、ごめん。私はこいつを許せない。
銃の冷たい感触が手に触れた、その時だった。
ばたんっ――勢いよく、玄関の扉が開いた。
「恵美――葉奈、大丈夫!?」
「――水野――何で!?」
「っ……!」
小さな細い棒のようなものを手に、水野桜が息を切らして立っていた。
「利果から、聞いて――葉奈が撃たれたって――」
言って、その犯人が誰だか思い当たったのか、十夜に向かって警戒した構えを見せた。
「く――っ」
十夜は小さく呻き――不意に身を翻して床を蹴る。長い髪がふわりと宙を踊った。
「え――!?」
戸惑う桜の横を勢いよくすり抜け、外へと身を躍らせる。先ほどの莉果の姿が脳裏をよぎった。
「――助かったよ、水野……」
はぁ、と重く息を吐き出し、恵美は体勢を戻して床に腰を下ろした。桜の登場に驚き、手を伸ばしかけていた銃は床に置かれたままだ。だがもうそれも必要ない。
「えっと――そう、そうだ、葉奈は?大丈夫なの!?」
「――――」
恵美は何と答えていいかわからず、息を詰まらせた。葉奈は、多分、もう生きてはいない。だが――それを告げることは強い決意が必要だった。
恵美は無言で桜に背を向け、葉奈の――死体がある、奥の部屋へと向かった。
「葉奈……葉奈、ごめんっ……私、守れなかった――」
つぶやくように謝り、顔を伏せた。うつぶせに倒れた葉奈は、もう確かめるまでもなく、息をしていなかった。
泣きそうに、なった。一体自分は、何をしているんだ――脚の痛みさえ忘れ、自己嫌悪に浸っていた。
守れなかった。葉奈を、自分を気遣ってくれ、一緒にいてくれた葉奈を。そして――
そこで、恵美は莉果の存在を思い出した。
桜は莉果から聞いてきた、と言った。なのに莉果の姿はない。
「――桜、そういえば、莉果はどこに――」
恵美は振り向きながら何気なく聞いた。特に疑いを挟むこともなく。だが――
――返事は、頭蓋骨を貫く9ミリパラベラム弾だった。
タンッ――
短く、軽やかでさえある銃声を、恵美は知覚することさえなかった。桜が拾い上げたスミスアンドウエスンM59オートの弾丸は、恵美の脳を的確に破壊し、一瞬でその機能を停止させていた。
「――ゴメンね、恵美。こんなにあっさり油断してくれるとは思わなかったから――」
哀れみと謝罪、心の底からの懺悔をこめ、桜は恵美に――恵美の死体に向かって話しかけた。涙さえ流し、恵美と――その前に支給品の毒吹き矢で葬った莉果に、謝り続けた。
しかし――その声に、後悔はなかった。防衛軍兵士である父の教えどおり、なすべきことをしたのだから。
ただ、友達を失った、自身の手にかけたことに対する悲しみ、それだけだった。
女子6番 児玉恵美 18番 山咲葉奈 19番 湯川莉果 死亡 残り31人
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