12:晴れのち雷雨



 どくん、どくん。波打つ血流が頭に響く。きつく巻いた包帯から先の感覚は、すでにない。痛みはないが――右足がだんだんと冷たくなっていくことが、恐怖感を増幅させる。
「――っ」
 呻きを抑え両拳を握り締める。
「……恵美、さん、大丈夫?……脚……痛むの?」
 隣に座る山咲葉奈(女子18番)が、心底心配そうな表情で顔を覗き込んできた。
 ――そうだ、今の自分には仲間がいる。守らなければならない仲間が――。弱音など、吐いてはいられない。
「いや……、大丈夫だよ。心配ない」
 笑顔を貼り付けて答えると、それでも少し心配そうに葉奈は言った。
「無理は、……しないでね?辛かったら寝てても、いいから……」
「――――」
 少し、……いや、かなり。嬉しかった。自分を気遣ってくれる仲間の存在が。――この状況下で、しばらくとはいえ一人で居たことは、児玉恵美(女子6番)の精神をかなり消耗させているようだった。だから余計に、その気遣いが温かく感じられた。
 今度は、さっきよりも本来の笑顔に近い表情で、答える。
「無理、してないよ、大丈夫。……二人ずつで見張りするって決めたでしょ?――私が休んだせいで葉奈ひとりが無理することになったら……それに、あと一時間もすれば交代だしね。葉奈こそ、順番最後だからまだしばらく寝れないけど大丈夫?」
 逆に聞き返す。――と、少しだけ葉奈の表情が曇っているような気がした、部屋が薄暗くてはっきりとは分からなかったが。
 ――葉奈は答えない。
「……葉奈?」
「あ!あ、うん、大丈夫だよ。全然、平気……」
 はっと我に返った様子で、葉奈は明るく――無理やり装ったような明るさで、恵美に返事を返した。
 最初の放送が終わって少し。まだ、いつもなら当然寝ている時間だ。しかも、校舎を出発してからこの農家らしい小屋にたどり着くまでは、ずっと歩き通しだった。疲労は限界に達している。
 ――正直、最初に眠ることになった湯川莉果(女子19番)が羨ましくはあった。
 だが。しばらくの沈黙の後、なるべく顔には出さないように、葉奈に笑いかける。
「――ありがと……気、使ってくれて。凄く、……嬉しい」
 いつになく素直に感情が吐き出せたことに、恵美自身も内心で驚く。
「でも、さ。――本当に、私は大丈夫だから。心配しないでゆっくり休んでて……」
 葉奈は小さくうなずく。
 勿論、脚の傷が軽いものではないことも、それが原因で普段どおり戦うことは困難だろうことも、わかっていた。不安、だった。でも、自分などに気を使ってくれる葉奈に、心配はかけさせたくなかった。
 ――死ぬのは怖い。でも、出来るかぎりは葉奈と、それに莉果も、守り抜こうと、決めた。
 決意を新たに、板で軽く塞いだ窓の外へ目をやる。そろそろ太陽が顔を出す時刻。東には下る斜面と海とがあるだけなので、昇りはじめた太陽の光は板の隙間から部屋に差し込んでいた。――と言ってもまだわずかで、相変わらず部屋は薄暗さを保ったままだったが。
 農家らしい、飾り気の無いこの一軒家は、北側の山の斜面に作られたみかん畑の南にあった。おそらくそのみかん畑を管理しているのだろう。今はとても食欲など湧かないが、気持ちに余裕がでてきたら、そこのみかんを少し頂いてもいい。
 部屋の作りも地味ながらしっかりしていたし、いざとなったら――考えたくも無いことだが――武器になりそうな農具も、いくつか部屋に運び込んである。莉果が眠る寝室には窓も無く、今二人がいる部屋を通らなければいけないので、見張りの隙をついて寝込みを襲われる、ということもまず無いだろう。しばらく――おそらくは禁止エリアに引っかかるまで――立て籠もるには、ちょうど良い場所と言えた。
 ただひとつ気になるのが、先ほど――確か3時ごろに聞こえた、3発の連続した銃声。3発でそれっきり、ぴたりと途絶えたが――かなり、近かった。山の上か、みかん畑あたりかもしれない。
 それは、恵美たち三人がこの小屋に落ち着くことに決め、亮に撃たれた恵美の右足の治療を始めたときだった。
 場所を変えた方がいいか、とも思ったが、恵美の傷と、下手に動くよりは大人しくしていたほうが安全だろうということを考え、とどまることにしたのだ。
 その考えは結果的に正解だったわけだが、銃声の主である二人――矢野義幸はともかく、鯊谷聖戯の方がすぐ近くのこの農家に寄らなかったのは、幸運だっただけだろう。運が悪ければ彼によって皆殺しにされていたかもしれない。
 それ以前にも銃声は何度か耳にしていたし(その少し後には爆音らしきものさえ聞こえた)、恵美は実際それに巻き込まれたこともあって、この「ゲーム」の開始は身をもって分かっているつもりだった。
 が――その後の放送。それが正しいなら、すでに5人ものクラスメイトが帰らぬ人となっていることになる。
 高橋の声が頭に蘇り、ぞくっ――体が震えた。
「……恵美さん、顔色悪い、よ?やっぱり寝てたほうが――」
 葉奈が声をかけ、恵美を心配そうに覗き込んだ、
 ――その時だった。
 ど、がっ。がしゃあぁん。
 ――音が、した。
『――!!』
 方向は、三人が入る際にガラスを割った、玄関横の窓辺り。穴の開いたガラスには板を立て、近くにあった椅子でそれを押さえてふさいであったのだが――ちょうど、その板を椅子ごと蹴り飛ばしたような音だった。後の方はガラスがさらに割られたか――あるいは椅子が食器棚にでもぶつかったか。
「――っ、葉奈……莉果、起こしてきて」
「わかったっ……」
 ささやき、葉奈が身を低くして動くのを確認して、そばにおいてあった、モップを外して作った木の棒をつかむ。攻撃力はトンファーには劣るが、この脚ではトンファーが使える間合いまで踏み込むのは容易ではない。
 身を低くしたまま、一応トンファーも手が届く位置まで寄せて、棒を手に身構える。逃げるにしても、莉果達の用意が整うまでは時間稼ぎが必要になるかもしれない。
 ――少しの間があって、侵入者の足音が部屋へと入ってきた。
 ぱり、とガラスを踏む音。木の床に乾いた泥が落ちる、かすかな音。
 ゆっくりと、焦らすようなペースで、それは徐々に近づいてきていた。
 ――葉奈――早く……!!
 焦る心。葉奈はまだ、来ない。足音は近づいてくる。
 どくん、心臓が跳ねる。汗が体中を伝う。
 ――恐怖――だった。圧倒的な、恐怖。亮に銃を向けられたときのそれよりも、未知の相手に対峙する今、恐怖は数倍に膨れ上がっていた。

「莉果――ねぇ莉果っ!!起きて!!」
 焦りに満ちた囁き声で、葉奈はシーツに埋もれた莉果の身体を揺する。
「んん、何……」
「莉果っ!!逃げるよ!!――誰か来たっ」
 半ば寝ぼけていた莉果の意識がはっきりと目覚めるのがわかった。身を起こす莉果を支え、急いでベッドから下りる。
「恵美さんが時間かせいでてくれるから――早く、準備して」
「わかったっ……」
 囁きで短い会話を終え、まとめてあった荷物に手を伸ばす。修学旅行用の自分の鞄から、使えそうなものだけをデイパックに詰め替えてある。なるべく減らしたつもりだったが、それでも女子の身には少々重い。
 莉果もすぐに荷物を用意したらしく、葉奈の先にたって隣の部屋へ向かった。
 いや、向かおうとした。止まった。
 ぱぁ、ん。
 乾いた銃声。
「――そ……んなっ……!?」
 声は、莉果のもの。葉奈の位置からは、莉果の見ているはずの光景は見えない。
 ――何――莉果、何が?
 訊いたはずの声は声にならず、代わりに血の塊が喉を圧迫した。
「な――ご、ほっ……」
 気づいた。腹に、穴が開いている。
「葉奈っ!!葉奈……葉奈ぁぁっ」
 恵美の声が耳を打つ。撃たれたのだ、という認識は、その後についてきた。熱い痛みと一緒に。
「――外した、みたいね。胸を狙ったつもりだったんだけど」
 勿論それは聞き覚えのある声だった。綺麗な、落ち着いた印象のソプラノ。そしてそれはこんな状況下でも、少しも変わっていなかった。
 ――神月、さん――
 それも、声にはならなかった。いつの間にか、くずおれて床に膝を着いていた。
 部屋の境、開いた扉の横に莉果がしゃがんでいた。そしてその向こう側の部屋には床に座ってこちらになにごとか叫んでいる、恵美。
 ――その恵美のさらに少し向こうには、硝煙の立ち上る自動拳銃を今は無造作に下ろしている、いつもどおりの落ち着いた微笑を浮かべる、神月十夜(女子10番)の姿があった――。



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