2:崩壊の前触れ
「龍哉くん、はいこれ。」
「・・・何?」
沙希に手渡された包みを受け取り、訊きかえす。
「頭痛薬。少しは楽になるんじゃないかな」
「へえ、そんなもん用意してたのか。」
感心した声をあげると、沙希は嬉しそうに微笑んだ。
「選手の体調管理も、マネージャーの仕事。さ、龍哉くんは薬飲んで寝てて。」
「はいはい。まったく、マネージャーの鑑だな。」
龍哉は水の入ったペットボトルを開け、薬を喉にながしこんだ。
「じゃ、しばらく寝てるよ。離陸するときには起こしてくれ。」
「はあーい。いまのうちに体調整えといてね。せっかくの修学旅行なんだから。」
「わかってる。おやすみ」
せまい機内のせまいシートで、どうやって体調が戻るんだ、とは思ったが、彼自身が担任の綾嶺麗乃を嫌っていて(かなりの美人だが、いかんせん性格がとんでもない)、沙希もそれを知っているからここで寝かせたのだとわかったから、何も言わなかった。
シートを少し倒して背中を預けると、
「新田、邪魔だ」
と後ろから声がした。
水戸洋平(男子14番)だった。
成績は学年トップで運動もできる(そして顔もいい)という完璧な男であるにも関わらず、不良グループのリーダーなんぞをやっているため女子からは恐れられている。
この学校において、「ワル」と呼ばれる者のほとんどが彼の部下であり、このクラスでも石井弘人(男子2番)、神山良樹(男子5番)の二人がその一味である。
「水戸くん、龍哉くん気分が悪いみたいだから、ちょっとガマンしてくれないかな。」
沙希がシートごしに振り返り、言った。
優しげでか弱い感のある沙希だが、実は洋平にさえ普通に喋れる気丈さの持ち主なのだ(大げさなようだが、ほとんどの女子は喋るどころか目を合わそうともしないのだ、これは賞賛に値する)。
そして龍哉は、彼女のそういうところが好きだった。
「・・・・・・」
洋平はそれきり黙り、龍哉は目を閉じて寝る体勢に入った。
(・・・こいつが修学旅行なんかに来るとは思わなかったな・・・)
仲間うちでは冗談も言い合うらしいが、他の生徒に対してはどこか冷めた目で見ている気がする洋平は、こんな行事には参加しないだろうと龍哉は思っていた(多分、他の大多数の生徒がそうだろう)。
同じ出席番号である長柄陽香に対しても、龍哉はそう思っていた。
陽香は女子のワルたちにとっての洋平のような存在で、要するに「スケ番」というやつだったから(実際学校もよくサボっていた)、先程の行動にも、少なからず驚いた。人は見かけによらないものらしい。
陽香の仲間である相原麻保(女子1番)と憂希礼央奈(女子3番)もちゃんと参加していた(洋平の部下たちも然り、だ)。
そういえば、集合後の点呼のときにいなかったのは遅刻した本宮晴彦(男子16番)だけだから(まあ彼は気まぐれで週イチくらいしか顔を見せないのだから、来ただけでも上出来というものだろう)、3年A組の40人全員が参加しているということになる。
これはかなりの驚きだ、A組は問題児だらけで、3年で最も出席率が悪いのだから。
そう――男女不良代表に、一匹狼のワルが二人。
「心の病気」だとかで保健室登校の九条香織(女子4番)に、病弱で入退院を繰り返している、二つ年上の関明日香(女子11番)、そして自由主義(本人が言っていた)の晴彦。
まったくもって大変なクラスだ。担任があんな性格の綾嶺じゃなければとてもやっていけなかっただろう・・・・・・・・・。
「・・・ピピッ。」
左手にはめた時計が一時間ごとの時報を鳴らし、それで龍哉は目を覚ました。
いつのまにか寝ていたようだが、普段から眠りの浅い彼はすでにはっきりと意識を取り戻していた。
「・・・ん・・・」
頭痛がひどくなっている気がする。
「・・・沙希?」
顔をあげて隣を見ると、沙希はがくりと頭を前に垂らして眠っていた。
(なんだ、沙希も寝てるんじゃねえか・・・)
苦笑しかけて、すぐに気がついた、沙希だけじゃない!
通路を挟んで左に見える岩下貴弘(男子3番)も、その奥の礼央奈も。
言いようのない不安にかられて立ち上がると、前のシートの陽香と一も、後ろの洋平も、それどころかA組の生徒全員がぐっすりと眠っていた(二、三人いた一般客は、なぜか姿を消していた)。
「な・・・何だ・・・?」
どう見ても異様な光景に龍哉は戸惑い、立ち尽くした。
そういえば、また頭痛がひどくなってきたような気が――
「新田。」
やや低めの、しかしよく通る声がして、龍哉は再び覚醒した。
振り向くと、長い黒髪をポニーテールにした一匹狼の女不良、流川夜深(女子20番)の綺麗な(しかしやたらと無表情な)顔が、こちらを見ていた。
「流川・・・なんなんだ、一体これ・・・」
夜深は龍哉の問いには答えず、
「逃げるなら、今だぞ。」
とだけ、言った。
「え・・・?何を・・・」
「今なら間に合う・・・いや、もう遅いかもしれないが、チャンスがあるとすれば、今だ。――死にたくなければ、これから下りろ」
「な、何言って・・・っつ!?」
鈍い衝撃が後頭部を襲い、龍哉はシートに崩れ落ちた。
――担任の綾嶺麗乃が、その美しい顔に邪悪な笑みを浮かべ、そしてリボルバー式の銃を手にして、立っていた。
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