10:裏切りの迎える朝


『ピッ、ピッ、ピッ、ポーン』
「!?」
 いきなり、どこからか――いや周り中あちこちから、聞きなれた音がした。
 テレビ番組が始まる前によく聞く、カウントダウンの電子音。
「な……何だ……?」
 戸惑っている間に、それに続いて音楽が流れ始めた。
 はっ、と何かに思い当たって時計を見る。AM6:00―― 一日四回、六時と十二時。
 ――これが、例の『放送』か――。
 それにしても、この曲は。聞き覚えがあるのだが、思い出せない。やたら明るく快活のメロディーがこの状況に不釣合いで、内心を苛立たせる。
 新田龍哉(男子13番)は舌打ちして、その場に座り込んだ。
 山頂の展望台で、見晴らしは良い。一応注意はして、小さな休憩所のような建物の低い壁を背にする。高さは無いが、座れば全身が隠れる程度。遠くからは見えないだろう、十分だ。
 とりあえず禁止エリアはチェックしておかないと、そう思ってデイパックを開けた、その時。
「動くな」
「――ッ!?」
 うつむいた頭の上から声がして、後頭部に何かが当たった。びくりと体を震わせる。
武器は、デイパックの中。急いで出して振り向けば相手を蜂の巣にできるか――いや、まだ弾丸を込めていない。背筋が凍りついた。
 後悔しても今更遅い。第一、体が動こうとしない。これが、『恐怖』か――。
 ――それよりも、誰だ?
 最初に響いた声から、推測する。
 まず、男子。低めで、落ち着いた雰囲気。一言だけ、一瞬だけ、しかも不意打ちだったので、はっきり誰とはわからなかった。
 ――水戸か、獅島か、矢島、それに――いや待て、この声は。
「義幸――か」 「正解」
 おどけて言うと、声の主――矢野義幸(男子19番)は、龍哉の隣に腰を下ろした。
 龍哉の後頭部に当てられていたであろう両手には、何も持っていない。おそらく指をつきつけていただけなのだろう。
 と、そこで放送から流れる曲に、前奏が終わったらしく歌が入った。
『新しーい、朝が来た、希ー望ーのー朝ーだー……』
「……ラジオ体操かよ。懐かしいな」
 義幸が皮肉っぽくつぶやく。
「冗談だろ……何が新しい朝、だ。――希望の朝なんか、来ないよ」
「確かにな……それがこのゲームだ。新しい朝が迎えられるかもわからない。出来たとしても、それは二度と希望の朝ではあり得ない」
 義幸の言葉は辛辣で、そしてなぜか少し、怒ったようだった。
「……義幸」
「なのに、何で、お前は」
「――――!?」
 やや筋肉質のその腕が、龍哉の両肩をつかんだ。指が肩にぐっと食い込む。
「――痛っ……」
「何でお前は、武器も持たずに、こんな見つかりやすい場所にいるんだ!?」
 小学校からの付き合いである龍哉も数回しか耳にしたことのない、本気で怒った声だった。
「お前は――死ぬつもりか!?お前がどう思っているかは知らないがな――誰かを、クラスメイトを殺そうと思って動いている奴はいる。お前が思ってる以上にな!!」
 一旦言葉を切り、龍哉の目を睨むように覗き込む。
「あまり、他人を信じすぎるな。死にたくなかったら――な」
『――伸ばーせよ、それ1、2、3――』
 そこで、放送から流れる音楽が止み、まだ少し馴染みの薄い、高橋の声に代わった。
『おはようございます、皆さん。元気に殺しあっていますか?――あ、寝てる人は起きてください。くれぐれも不注意で永眠することは無いようにしてくださいね――最初の放送です。メモの用意、してください」
 義幸は軽く舌打ちし、龍哉の肩から手を離した。
 そのままポケットから折りたたまれた地図を取り出し、――手を止める。
「ペン、貸してくれ」
「あ、ああ」
 それで、半ば呆然としていた龍哉は我に返り、急いでデイパックの中かわ地図とペンケースを取り出した。
「はい」
「サンキュ」
 高橋は30秒ほど間を置き、再び話始めた。
「はい、そろそろいいですね。ではまず、残念ながらこれまでに退場してしまった生徒を発表しまーす。男子から、番号順です――』
 ――――――――――――何だと?
 一瞬、背筋が凍ったような気がした。
 退場――それは、勿論、死を意味する。
 そんな、まさか。だって、さっきまで皆元気で――いや、あの教室では元気とは言い難かったかもしれないが、少なくとも飛行機の中では、まだ見ぬ異国を楽しみに、大騒ぎしていたじゃないか。
 誰かが死んだ――なんて。あるわけが、あるはずがない。いや、あってはならないことだ。
「――ぼっとすんな、新田。放送聞き逃したら命取りだぞ」
「あ、ああ……」
 義幸の声で何とかペンを手に握り、開いた地図の下のほうに印刷された名簿を見る。
『1番、池田勇訓。15番、宮間尚樹君。20番、山本信幸君――以上です。続いて女子は――」
 手が、震えた。
「――うそ――うそ、だろ……?」
 声帯が錆び付いたかのようなかすれた声が、喉から押し出された。もう何年も喋っていなかったかのようだった。
 サッカー部で義幸と共に活躍していた、池田勇(まぁ、彼の死は多少なりと覚悟はしていた。受け入れられるかどうかは別の話だが)。
 目立つ存在ではなかったが、誰にも優しく思いやりがあった、宮間尚樹――彼はバスケ部の補欠だったはずだ。
 そして、気弱ないじめられっ子で、龍哉自信何度か助けてやったことのある――一度、クラスの誰かに片思いしていると打ち明けられた――山本。
 三人の顔が浮かび、そして消えていった。
 コンクリートに触れた足元や膝から、冷たさがじわじわと上がってくるような気がした。
「嘘でも、悪い夢でもないぜ……さっきから、銃声、聞いてるだろ?」
「でも、あれは、高橋達のヤラセだってことも……!」
「しっ。話は後だ」
 短く遮り、すでにいくつか線の入った名簿に目を落とす。
 先の3人に続き、長柄陽香らの不良グループに所属する憂希礼央奈(女子3番)、美術の先生にやたらと褒められていた、そして天才画家だとか言われていた、御手洗優香(女子16番)の名が呼ばれた。
 義幸はその名前を横線で消していく。
 ――合計、5人。教室で高橋に殺された田上早也(男子9番)を合わせると、今生きているのは34人だと言うことになる。
 信じられなかった。手が、震えて、動かなかった。
『続いて、禁止エリアです――2時間ごとに一つ、ですよ。間違えたら死にますからね、気をつけてくださいね』
 そんなセリフを吐く間も、変わらないあの笑顔なのだろう。義幸が軽く舌打ちをした。
『では、行きまーす。7時から、H−2、9時から、C−7。そして11時から、B−7……以上です。繰り返します、7時からH−2、9時から――』
 一回目でチェックし終えたらしく、義幸はカサカサと音を立てて地図をたたむ。ポケットにしまおうとして龍哉の方を見て手を止め――小さく、溜息。
「……お前、何も書いてないじゃねぇか。本当に死にたいのか?」
「――っ」
 何かが、音を立てて、切れた。
「何でお前は――そう、冷静になれるんだよ!!クラスメイトがこんなに――こんなに、死んでるんだぞ!?何で平気なんだ!!何で――なんでッ」
「……平気に……見えるのか?」
「――へ?」
 思わず、間抜けに聞き返していた。
 何を言ってるんだ。目の前にいるのは、いつもどおりの義幸じゃないか。ワイルドでちょっとワルっぽくて、ちょっとカッコいい――顔が良いとかじゃなく、その雰囲気がだ――いつもどおりの義幸じゃないか。
 そのはずだった。が。
「見えるなら、俺は自分で思ってる以上に演技派だったってことか」
 初めて、気づいた。後頭部から、首筋に一筋の線を描く、それは。
「――義幸っ――お前――っ――血ッ」
「……あぁ、これか」
 義幸はこともなげに言い、その元だと思われる場所に軽く手をやった。触れ、わずかに顔をしかめる。
「大した傷じゃねぇ――頭ってのは、必要以上に血が出るもんなんだ」
 そうじゃない。そんなことより、――誰が、これをやったんだ?
「誰に――政府の奴らか!?脱出を宣言したから――」
「は。馬鹿言ってんじゃねぇ」
 言って、わずかに目を細める。
「――あぁ、それで納得だ。お前、今までの銃声が政府の奴らのヤラセだとでも思ってたのか。俺たちを『やる気』にさせるための、デモだとか……」
「……っ、そうだよ……悪いかよっ」
 半ば怒鳴るように言い、うつむく。完全に、図星だった。今の今まで、かたくなにそう信じていたのだ。いや――信じようとした、と言うほうが正確か。
 やっと、認識できた。そんな気がした。
 ――――――――コレハ、現実ダ――――――――。
 あの時、そう――教室で首輪を鳴らされたあの時にすぐそばに感じたものが――『死』が、さっきよりも近くに感じられた。

 そうだ。誰も、俺を助けようとはしなかった。皆自分の身を守ろうと、俺から遠ざかっていった。健也も、義幸も、沙希さえも。
 皆、俺を見捨てた――――  見  捨  て  た  。
 黒い感情が胸の中に渦巻いた。
「俺だって平気なワケじゃねぇ。ただ、少なくともお前よりはこの状況を把握してるってだけだ。――あのいけ好かねぇへらへら野郎に手痛い反撃をくらわすまでは、死ねないからな」
 ――何か、何かが、胸の中から湧き上がってきた。そして、気づかないうちに、それは言葉となって口から出ていた。
「――それで――そう言って俺を仲間に引き込んで、最後は裏切って殺すのか?」
 低い、地の底から出るような、暗く重い声だった。自分の声ではないような気さえした。
 義幸がぴたりと動きを止めた。
 ぎしっ、と音さえしそうな、ぎこちない動きで、赤い筋の走った首がこちらに向く。
「――新田――お前、何、言ってんだ……?」
 今までとは打って変わった、空気にかき消されそうな、力の抜けた声だった。
「何言ってんだ、だと?お前が言ったんだろ、やる気になってるやつはいる――ってな。お前がそうじゃないという保証がどこにある?いや、仮に今はやる気じゃなかったとしても、ギリギリの状況に陥った時、裏切らないって断言できるか?」
 自分がどんな顔をしているのか、わからなかった。ただ、頬の上の筋肉が引きつっている感じがした――俺は、笑っている。
「お前――っ、何言ってんのかわかって――」
「分かってるよ。当たり前のことを言ってるだけだろ?お前が教えてくれたんだからな――あまり他人を信じすぎるな、ってな」
 すぐ横のデイパックに右腕を伸ばす。手探りで中から金属の感触を探り当て、持ち上げて両手で構える。
 ごくり。義幸の喉仏が、ゆっくりと上下した。
「今、わかったよ。俺は――死にたくない。絶対に。どんなことをしても、だ」
 龍哉の人差し指が、プログラムのためだけに開発された中学生向け小機関銃――『03式BR小銃』の引き金に、ゆっくりと添えられた。



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