11:疑念と別離と弾丸と



 それが起こったのは昨年の12月――クリスマスだったから、今から約10ヶ月前になる。
 大東亜国民なら、誰もが知っている大きな事件。まだ一年も経っていない今、多くの国民の心に傷を残している、凶悪な事件。
 それが、『戦闘実験68番プログラム』史上ごく稀な脱走者であるナナハラシュウヤが起こした、テロと言う名の殺戮劇だった。
 当時の総統が病気で急逝したとの発表があったのはその直後だったし、直接被害を受けていないはずの総統官邸の護衛兵に死者が出たこともあり、当時、総統はこの事件の隙に暗殺された――このテロの真の目的は、総統の暗殺だった――という噂が、一部では広まっていたらしい。
 ――真相を知るのはテロリスト達、そして国のトップに立つ一部の高級官僚達だけだ。

『――あの卑劣なテロ事件からちょうど一年の日に実行される、『プログラム』を応用したテロリスト掃討作戦、BRU。この銃はその作戦のために設計された、小型・軽量で扱いが容易な中学生向けサブマシンガンである。』
 同梱された説明書には、そう書かれていた。
『BRU』というものの存在は気になったし、それが『プログラム』を応用したものであり、対テロリスト用に使われるはずのこの銃が『中学生向け』と表記されていたことは、少し気になった。が、そんなことはどうでもいい。
 今重要なのは、実践テストを兼ねてプログラムに投入された、扱いやすさ・威力の双方を伴うこの銃が、見方によってはこのゲーム中で一番の『アタリ』だと言えるかもしれない、ということだ。
 そしてその銃口は、銃を握る龍哉の親友であるはずの義幸に、ひたりと隙無く向けられている。
 ――ありえないはずの光景だった。誰よりも龍哉自身が、そう思っていた。
「――もう一度、言うが――新田、お前、何を言っているのか分かってるのか?」
「わかってるさ、当然だろ?死にたくないと思うのは、人として当たり前のはずだ」
 淀みなく言い切って、いびつな笑みをさらに深くする。
「そして、死にたくなければ相手を殺すのが、このゲームのルール、そのはずだ」
 龍哉の突然の豹変ぶりに、さすがの義幸も戸惑いを隠せない。額から、右目の横を通って汗の雫が流れ落ちた。
 心なしか青ざめた顔を上げ、なるべく銃口を見ないようにして龍哉に話しかける。じっと、狂気を湛えたその目をみつめて。
「――お前は、そんなことできる奴じゃねぇだろ」
「それができないと死ぬんだろ?お前が教えてくれたんだ……」
 龍哉の調子は変わらない。堂々めぐりだ。
 小さく息を吐き、喉に意識を集めてゆっくりと言う。これが最後だ。
「――俺がお前を裏切ると、本気で思ってるのか?」
 少し声を低め、真剣に言った。――これが、最後だ。
「――――ッ」
 龍哉は言葉に詰まり、わずかに視線を外した。
「俺は――――……お前も、あの時助けてくれなかっただろ!!お前も、健也も、沙希もっ……誰も、助けてくれなかった――信じられる奴なんか、もう……」
「じゃぁ――沙希さんに会えたら――どこかでたまたま見つけられたら、その時お前は沙希さんにソレを向けるのか?」
 今度こそ、龍哉が答えられなくなるのがはっきりと分かった。
「沙希さんを探すんだろ?探して、藤堂達と一緒に、なんとか脱出法を考えるんだろ?――忘れたのか、お前はあの教室を出る時、署名しなかったはずだ。殺し合いなんかしないと、誓ったはずだ」
 もう一息だ。ここで言い負かせれば、正気を取り戻させることができる。そうすれば――大丈夫だ、今言ったとおり、仲間を見つけて脱出を目指すことができる。
「新田――ソレを下ろせ、頼むから。俺を信じてくれ。俺達は、仲間だ、小学校からずっと一緒だったじゃないか。俺と、お前と、藤堂と三人で――」
「煩い――うるさいっ」
 至近距離で義幸に向いた銃口が、揺れた。そして、次の瞬間、
 ――義幸は、視界の隅に、引き金を絞ろうと力を込めた龍哉の指を捕らえた――。
「――ッ」
 一瞬だった。龍哉が本気で撃とうとしていることを悟った瞬間、義幸は踵を返して駆け出していた。
 サッカー部、いや学校一の、その俊足。瞬時にして、義幸の足は休憩所のコンクリート床から足場の悪い土の上へと移動していた。
 それからは、もう振り返らずに走り続ける。とりあえず、見晴らしの良い展望台から離れ、まばらに生えた木々の奥へ。そのまま行けば先ほど鯊谷聖戯(男子18番)と交戦したみかん畑に出る。
 ある程度走って、展望台から死角になるよう木を背にして座り込んだ。
 ――何で――何でだよ。何でこんなことに――ッ。
 この程度の全力疾走では息切れもしない。だが、精神的な痛手は隠しようもなかった。
 ぎりっ、奥歯を噛みしめて、握った拳で地面を叩いた。
 どうしようもない、無力感と後悔。今更取り返しがつかないことくらいわかっているが――でも、もし、あの時。
 あの時自分が龍哉をかばって高橋に楯突くなりしていれば、状況は変わったはずだ。
「――ッ」
 地面に叩きつけた右手が痛んだ。目をやると、右の手のひらに巻いた白い布――シャツを裂いたものだ――が、じんわりと赤く染まっていた。
(――鯊谷、あいつ――)
 鯊谷聖戯から逃げる時に切った傷だ。一応消毒して裂いたシャツで縛っておいたのだが、今ので傷が開いたらしい。
 暗殺やらなにやらを引き受ける軍人――聖戯はそう言った。何の気負いも無く、笑顔で。
 あいつは――いや流川もそうだろうが、あいつらは他人を殺すことに何の痛みも感じないのだろう。それは多分、本人が悪いのではない。あいつらを育てた環境が――そんな人間に造り上げた大人たちが、この狂った国が悪いのだ。
 だが、生きて脱出しようと思ったら、そんな化け物達とも戦わなければならない。
 なのに。
 龍哉さえも、だれよりも長い時間を一緒に過ごしてきた彼でさえも、仲間に引き入れることはできなかった。あいつらに対抗するには、どうしたって信用できる仲間との協力が不可欠だってのに。
 頭を膝に埋め、絶望に押しつぶされそうになる心を必死に支えた。まだ、健也がいる。他にも、信用できる奴は――多くはないが、皆無ではない。
 ――俺は生きる。あいつらを倒して、生きてここを出るんだ。健也達と――龍哉とも、一緒に。
 ずきずきと痛む右手が、鯊谷聖戯の優しげな、だがある種不気味な微笑を思い出させた。

 ――はは。俺、思ってたより演技派なのかもな。
 嘲笑なのか苦笑なのか、皮肉っぽい笑みを浮かべて龍哉は壁にもたれた。
 ごとり。重い音を立てて03式BR小銃がコンクリートに寝転ぶ。
 中学生向けに軽量化されているとはいえ、サブマシンガンである以上、ある程度の重さはある。弾丸なしでこの重さだ、実際に撃つとなると、反動を押さえられるのだろうか。少しだけ、不安が脳をかすめた。
 ――そう、BR小銃の弾倉は空だった。クラスメイトを殺すなんて考えたくもないし、仮に誰かが襲ってきたとしても、やたら強そうな外見のこの銃なら、大抵の奴は恐れて逃げ出すだろうと考えたのだった。
 やはり、少し甘かったかもしれない。でも、間違って誰かを撃ってしまったらと思うと、弾を込める気にはなれなかった。
 もしいつでも撃てるようにしていたら――撃たない自信はない。どころか、戦う気もないクラスメイトが飛び出してきた時、驚いて撃ってしまうかもしれない。
 ――信じられないのは、他の誰でもない。自分自身だった。
 義幸だって、誰かに襲われた。デイパックを持っていなかったのも、おそらくそのせいだろう。
 もし一緒に行動して、誰かが襲ってきた時――絶体絶命の危機に追い詰められた時――俺は、義幸を見捨てないと、言い切れるか?
 答えは、否、だった。
 見捨てたことに苦しむくらいなら、最初から一緒にいない方が良い。もし二度と会えなかったとしても――後悔しない、とは言い切れないが、見殺しにした後悔よりはずっとましなはずだ。
 だから、龍哉は嘘をついた。義幸のことが信じられない、と。
 ふぅ、我知らず、息が漏れた。
「――でも、まさか義幸を騙しきれるとは思えなかったけど、な」
 何気なくつぶやいて、
「まったくだよ、お前は大根役者だと思い込んでたんだが」
「っ!?」
 ごく自然に帰ってきた返答に、ばっと身を起こす。
「――な、な……なんで、義幸、お前……っ」
「よ、久しぶり――5分ぶり、くらいか?」
 おどけた調子はいつもの義幸だった。
 そのまま龍哉のそばに――先ほどと同じ場所に、腰を下ろす。
「よく考えてみたんだよな、あれから。やっぱりお前がこんなことで壊れちまうような奴だとは思えなくてさ。もう一度だけ、殺される覚悟で説得にいこうってな。そしたら」
「――義幸、だって俺――」
「お前のことだから、裏切られるより裏切るのが嫌だとか、そんな甘ちゃんなこと考えてたんだろ?自己犠牲とやらが大好きだからな、お前は」
 少しだけ、乾いていた瞳に雫が宿った。安心感から、かもしれない。義幸が自分を見抜いてしまったことにたいする喜びなのかもしれない。
 ――とにかく。
「――おいおい、泣いてんのか!?……ったく、本当に世話がやけるな……ほら、立てよ。大騒ぎしちまったからな、見つからないうちに移動するぞ」
「っ……泣いて、ねーよっ」
 言いながら、泣き笑いで立ち上がる。弾のない銃を拾い、ストラップを肩にかけ。
 耳元で、義幸が囁いた。
「俺は、お前が思ってるより強いぞ……お前が見捨てようとしたって、絶対ついてってやるからな」
「……はは。全力で振り払ってやるよ」
 ふざけて返事を返し、二人で顔を見合わせて笑う。
 まだ、この狂ったゲームの中にいるという状況は、少しも動いてはいない。
 だが、今だけ。この時だけは、いつもの日常的な光景に見えた。


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