4:復讐の代償
「・・・はぁ・・・はぁ・・・っ」
ざぁ・・・ん。
波の音を聞きながら、憂希礼央奈は砂浜に座り込んだ。
学校を出て、恐怖にかられてひたすら走っているうちに、ここ―――島の北側に位置する海水浴場―――にたどりついた。
水瀬中のある町は内陸部に位置していて、海を見る機会はあまりなかったのだが、呑気に感激していられる状況ではない。
やや灰色がかった砂がスニーカーの中に入り込んで不快だったが、そんなことも気にならないほどに、疲れていた。
―――肉体的にも、精神的にも。
脱色してウェーブをかけた茶色の髪に、両耳にはやや派手なピアス。この格好で、グループの一員に、と長柄陽香に名乗りを上げたのは、そう昔のことではない。―――中学2年の秋頃だろうか。
まだ「ワル」になりきれていないのか、礼央奈は他人に暴力を振るうことは絶対にできなかった。陽香や、他の仲間達が他校の生徒らにからまれて喧嘩に発展しても、礼央奈は遠巻きに見ていることしかできなかった。
――当然、この状況で平然とクラスメイトを殺すことなどできるわけはない。
死体を見た恐怖から、発作的に走り出した礼央奈だったが―――今は、こうして静かに座っている以外に、どうすればいいのかなど、思いつかなかった(こんな見通しの良い場所に座っていること自体危険なのだが、それすら思いつかない程に憔悴しきっていた)。
(・・・獅島・・・くん・・・)
怖い。だが、彼のためならその恐怖にも打ち勝てる。
片思いではあったが、礼央奈は他のクラスメイトの誰より、彼のことを知っていた。
赤に染めた短髪などの、大人に対する異様なまでの反抗的な態度の理由も、他人を寄せ付けない「一匹狼」な彼の、その悲しい過去も。
――そして、この機会に彼が実行するであろう、「復讐」にも、命をかけて協力する決意もあった。(もちろん、運良く彼と再会できれば、の話だが)。
だから。
(獅島くんに会えるまで、生き残らないと―――じゃないと、死んでも死に切れない・・・・・・)
意志を固めてなんとか冷静さを取り戻した礼央奈は、武器の確認をしていないことに気づき、急いで(だが落ち着いて)デイパックに手を伸ばした―――刹那。
―――ざっ。
「―――!?」
波の音に混じって、確かに聞こえた―――足音が。
獅島俊也は、支給品のサバイバルナイフを握る手に力を込め、足音を立てずに砂浜に一歩踏み出した。
先の方に見える茶色い頭は、間違えようもない、女子3番・憂希礼央奈だ。
油断は禁物だが、彼女が自分に攻撃してくることはない―――俊也は、そう確信していた。
邪険にされてもしつこく自分に話しかけてきた、礼央奈。
彼女の気持ちに気づいていた訳ではなかったが、他人に関わるのを避けている俊也にさえそう確信させるだけの何かが、礼央奈にはあった。
「・・・・・・・・・・・・」
無言のままに、今度はわざと音を立てて、もう一歩踏み出す。
ざっ。
砂を踏むその音は、俊也自身の耳にもはっきりと届いた。
「―――!?」
礼央奈が息を呑むのがわかった。そのまま、ばっ、とこちらに振り向き、目を見張る。
「・・・・・・憂希・・・」
「―――獅島、くん・・・・・・!?」
すぐに見開いた目に涙が浮かび、礼央奈はデイパックを放ったままで歩き出した。
「・・・・・・良かった・・・会えて、よかったぁ・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
俊也は相変わらず無言だが、それはいつものことなので気にしない。
「・・・獅島くんに会えずに・・・・・・死んだら、どうしようって・・・」
涙声で言い、そのままで歩み寄る。
俊也は困った様な動作で赤い頭を軽く掻き、目の前まで近づいていた礼央奈の肩に、手を置いた。
「・・・・・・獅島くん・・・・・・?」
礼央奈はまた驚いて目を見開く。
「・・・憂希、悪い・・・・・・」
俊也は半ば目を伏せ、礼央奈には聞こえない程度に呟いた。
中二の夏休み。
その頃はまだ普通の中学生だった礼央奈は、特にすることも無く、学校の近くを散歩していた。そこで、俊也の姿を見たのだ。
二年では違うクラスだったが、かなり目立つ赤い頭をした一匹狼、獅島俊也のことは知っていた。喧嘩がものすごく強いということも。
だが、礼央奈が見かけた彼は、他校の生徒らしい男子十数人に囲まれ、片膝を付いていた。
一対、十以上。
さすがに人数の差は大きく、俊也はいくらか怪我をしていて、頭には、髪とは違った赤いものが見えていた。
(―――っ!!)
はっと息を呑んだが、助けに行けるわけもない。礼央奈は喧嘩などしたこともない、普通の中学生なのだ。
(・・・どうしよう・・・誰か、人を呼んできた方がいいかな・・・でも・・・)
怖くて、完全に動けなくなった、その時。
俊也が、こちらを向いた。
「・・・・・・!?」
曲がり角から半ば見えている礼央奈の姿を確認すると、俊也は軽く舌打ちをして、『来るな』と言うように合図をした。
「・・・・・・ええっ・・・・・・」
金縛り状態の解けない礼央奈が戸惑っているのを見て、俊也はまた舌打ちをする。
――そして。
「―――っ!!」
鋭く呼気を吐き出し、立ち上がりながら前に跳んだ。
「なっ!?」
正面にいた他校生は、驚きに一瞬反応が遅れた。
「・・・っりゃああああ!!」
俊也は吠え、渾身の右ストレートを叩き込んだ。
「・・・っがぁ・・・!」
呻いてのけぞり、続く二撃目もまともに食らう。
(・・・・・・凄いっ・・・!)
―――それから、俊也が彼らを叩きのめすのに、そう時間はかからなかった。
「・・・ふぅっ・・・・・・」
短く息を吐き、俊也は礼央奈の方に向き直る。
「っ!!」
―――俊也は、ビクっと肩を震わせた礼央奈に、呆れた様な表情で言った。
「・・・あんな所に突っ立ってたら危ないだろ。・・・あいつら、風見高でも特にタチ悪い奴らだぞ・・・」
「・・・えぇっ・・・だって・・・えと、獅島くん、怪我してるし・・・」
俊也が自分を気遣ってくれていたことに驚きながらも、礼央奈は消え入るような声で答えた。
「・・・こんなの、大した怪我じゃない・・・不意を突かれただけだ」
無愛想に答え、俊也はすぐに背を向けた。
「こいつらが気づく前に帰った方が身のためだぞ。誰にでも見境無く絡んでくるような奴らだからな・・・」
言い捨て、俊也はそのまま歩き出した。
礼央奈は、しばらく呆然とその後姿を眺めていたが、はっと我に返って自宅への道を辿った。
(・・・獅島くん・・・凄かった・・・それに・・・)
意外だったけど、優しかった。
礼央奈は、噂で他人を判断するのはやめようと、その時決めたのだった。
―――髪を脱色してパーマをかけ、派手なピアスをした礼央奈が、長柄陽香のグループに入ったのは、それから少し後のことだった。
「・・・あの、獅島くん・・・」
礼央奈はやや気まずそうに、だがしっかりと俊也の目を見て口を開いた。
「・・・・・・」
俊也はその肩に手を置いたまま、答えない。
「・・・獅島くん、政府の奴らに・・・高橋達に、復讐するんでしょ?なんとか抜け出して、あいつら倒しに行くんでしょ?・・・力になれないかもしれないけど・・・あたしにも、手伝わせて・・・!!」
俊也は無表情に、礼央奈の瞳を見返した。
「俊也くんが綾峰に反抗してたのだって、総統第一の綾峰が嫌だったからでしょ?政府に従うのが嫌だったからでしょ?・・・あたし、手伝うから―――」
「その必要は、無い」
低い、だが落ち着いた声。
「―――え?」
「確かに・・・・・・俺はこの機会に、政府の奴らに復讐しようと思っている」
「じゃあ・・・・・・」
「黙れ」
短い言葉に、礼央奈はわずかに肩を震わせた。
「・・・最後まで、聞け。」
どこか悲しげな色をその目に読み取って、礼央奈は口を閉ざす。
「・・・憂希、お前はコレから抜け出す自信があるのか?その方法を見つけて、高橋達にバレずに成功させる自信があるのか?―――俺は、政府に復讐する―――その、足手まといにならない自信があるのか?」
いつになく饒舌な俊也に戸惑いながらも、礼央奈は答えた。
「・・・そんなの、ないけど・・・でも、あたしは―――」
「俺も、脱出する自信はない。だから―――」
ズン・・・っ。
「―――っ!?」
腹部に、熱い衝撃。
「・・・が・・・っ・・・」
息が漏れ、次いで唇から血が滴り落ちた。
「な・・・んで・・・獅島く・・・っ」
「脱出は無理だ。だから俺は、優勝して奴らの所に戻ることにした」
礼央奈の腹部に突き立ったサバイバルナイフ。当然、その柄は俊也の手の中にあった。
「だから―――悪いが、憂希、お前が俺の一人目だ」
わずかに目を細めながら、俊也は右手に捻りを加えた。
傷口に空気が入り、礼央奈は苦痛に身を捩る。
「・・・っ・・・獅島くんっ・・・!!」
「・・・・・・悪いな・・・俺は、何をしても、いつか奴らに復讐しようと決めていた・・・知ってるだろ。コレは願ってもない機会だ―――」
右手を一気に引き上げる。
「―――うあああああああああああっ!!」
傷口から一気に血が流れ出し、礼央奈は悲鳴をあげてうずくまった。
「政府にしちゃ、大した痛手ではないだろうが・・・自己満足でも、俺は復讐する。奴らに。」
俊也は一度ナイフを抜き、勢いよく礼央奈の胸に振り下ろした。
ドスッ。
ナイフは狙いたがわず礼央奈の心臓を貫き、礼央奈の体はわずかに痙攣した後、完全に沈黙した。
「・・・・・・悪いな・・・・・・」
三年前、政府の手によって殺された両親と弟の顔が、浮かんだ。
家で自分の帰りを待っているはずの姉の顔が、浮かんだ。
そして―――あの教室で、最期まで高橋に刃向かって死んだ、田上早也の顔が浮かんだ。
「・・・・・・・・・・・・」
アイツは、アイツなりのやり方で政府に逆らったんだ。
俺は、俺なりのやり方で復讐を果たす―――アイツみたいに、無駄死にはしない。
田上早也が、自分と同じ境遇にあることは知っていた。
だから、彼が死んだ時には俊也にも多少焦りがあったのだが―――それは別の決意となって、俊也の心に根付いたのだった。
女子3番 憂希礼央奈死亡 残り37人
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