5:“過去”と“感情”


「・・・・・・やっと二人目ですか・・・せっかく色々と用意したのに・・・残念ですねぇ・・・」
 先ほどと変わらない、校舎の中の一室。
 憂希礼央奈の死亡を告げるパソコンのディスプレイを眺め、高橋は呟いた。
「・・・色々と?・・・それって、流川さんのコトかしら・・・?」
 綾峰は、未だ不満げな様子で、じろっと高橋を睨みつけた。
「いいえ、違いますよ・・・・・・彼女がプログラムに選ばれたのは、全くの偶然です―――さっきから、そう言っているでしょう?」
「どうだか」
 言って紅茶を一口すする。
「・・・ゲームが早く進行するように、ちょっと配慮したんですよ・・・」
 渋々、と言った口調で高橋は告げる。
「生徒の皆さんが教室から出たら、普通なら兵士達が校舎の出口付近まで待機しているんですけど・・・それを、教室がある階だけにしたんです。―――校舎を出る前に、武器を取り出して用意できるように、ね―――」
 キーボードを少し操作し、校舎内の見取り図を呼び出す。
「ほら・・・・・・ここと、ここ。外からは見えませんし、兵士達からも死角になっています。足音が響くから、誰かが近づいてきたらすぐにわかります。武器を確認して襲撃に備えるには、最適でしょう?」
「・・・・・・成る程ね・・・・・・」
 うめくようにだが、綾峰も同意した。
 要するに高橋は、兵士の配置を最小限に留めることで、生徒に、待ち伏せや奇襲のチャンスを与えたのだ。そして、水戸洋平や池田勇、他何人かの生徒はは、高橋の思惑通りに行動し、そこで武器を用意して出て行った(だが実際に戦闘になったのはその二人だけだったし、洋平の場合も死者は出ていない)。
「他にも、生徒にくじを引かせたり署名したりで不信感を煽って・・・・・・さっさと殺しあってくれるように配慮したんですけどね―――予想外でしたよ、この時間で生徒が殺したのはたった二人、とは」
 ふぅ、と軽く溜息をついて、高橋は再びディスプレイに目を戻す。
「―――流川さんも、思ったほどやる気を出していないようですし―――」
 そこで、綾峰は形のいい眉をわずかにひそめた。
「・・・・・・そういえば・・・・・・貴方、どうやって流川さんをゲームに乗せたのよ?彼女なら、これから抜け出して貴方に奇襲をかけることくらい、簡単でしょ―――そのほうが私としても嬉しいし」
「それは・・・なかなか手厳しい意見ですね・・・・・・的を射た意見でもありますが・・・・・・」
 苦笑気味に高橋は言い、またキーボードを操作する。
 カタカタ・・・キーを叩く音が響き、しばらくして画面に一人の男の顔が現れた。年齢は17、8。あまり整っていない長めの髪、細面の、どこにでもいそうな青年だが―――眼光の鋭さが、一般人ではないことを物語っていた。
「―――誰?」
 綾峰が問い、高橋は相変わらずの笑みで答える。
「須藤宗介君、17歳。・・・・・・流川さんが僕の下で『仕事』をしていた頃のパートナーです。それに―――流川さんが僕の下から離れる原因を作った者であり、今は共に『一般人』として生活をしている―――いわば『家族』のような者です」
 やや驚いたように、綾峰は目を見開いた。

 ―――島の南西、山頂付近に山小屋があった。
 周囲の足元には、細い糸が張り巡らされていて(もちろん普通に歩いていれば気づかない程度の物だ)、誰かが潜んでいることは明らかだった。
 誰か。侵入者を察知できるように罠を仕掛けることを思いつく程の冷静さをもった、誰か。
 それは―――長い髪の、女生徒だった。
「――――――」
 最後の糸を木の根元に止め、その『誰か』―――流川夜深は、ゆっくりと立ち上がった。
 糸の先端は山小屋の中まで続いており、中にいても侵入者の存在がわかるようになっている。
 ―――もっとも、彼女にそんなものは必要ない。そこまで近づけば気配で察知できるほどの手練れなのだから。だが、油断は厳禁。念には念を、というわけだ。
「・・・・・・」
 夜深は小さく息をつくと、余った糸や道具を手に、山小屋の中へと入っていった。

「―――流川さんのパートナーってことは、『あの事件』にも関わってるわけ?」
「はい。・・・・・・もっとも、彼は裏方を担当していたので、実行にはほとんど手を出していませんけどね・・・でも関わっていたのは事実です」
 その返答を聞き、大方見当がついていながらも、綾峰は再び問いを口にする。
「・・・・・・彼を、どうしたの」
「人質に。」
 高橋はさらりと答え、言葉を切って綾峰の様子を見てから続けた。
「流川さんは、幼い頃の『教育』の影響か、人間らしい感情をほとんど持っていません。殺人への禁忌、死に対する悲しみ、人や物への執着―――ですが、彼は流川さんにとっては『特別』な存在なんですよ―――」
 にっこりと。あくまで和やかな笑みを崩さず、高橋は言った。
「だから、彼を人質に取りました。彼の生存条件は、『流川さんがこのプログラムで優勝すること』―――と、まぁこんなところです」
(・・・・・・『あの事件』に関わる程の暗殺者を、あっさり人質に捕らえるなんて―――こいつ、どれだけ優秀なエージェント抱えてるのよ―――)
 高橋の表情とは対照的に、綾峰は完全に青ざめていた。

 ・・・・・・ばさっ。
 ブレザーの上着がかすかな音を立てて床に落ち、ほどかれたネクタイの上に覆い被さった。
 ――夜深は、小屋の中で着替えをしていた。
 このゲーム中で着替えとは大胆な行動ではあるが、言うまでもなく、女生徒用の制服は戦闘向きではない。かつて殺しのプロであった夜深は、常に最善の状態で戦いに挑むことを鉄則としていた、それゆえの行動だ。
 ――夜深は三年前まで、政府役人の下について、暗殺を生業としていた。彼―――須藤宗介と共に。
 ・・・・・・ばさっ。
 続いて白い長袖シャツが床に落とされ、病的なまでに白くなめらかな素肌が―――そしてその上に刻まれた傷跡が、あらわになる。
 かなり古い物であろう、切り傷や火傷の跡。比較的新しい、肩から脇腹にかけての切り傷。心臓のすぐ脇に刺し傷。銃創とおぼしきものさえ、いくつも存在している。
 それが、彼女の生きてきた過程の厳しさを、物語っていた。
 未婚の母の元に生まれた夜深は、4歳まで、母親による虐待を受けていた。
 執拗なまでに繰り返される暴力。生命の危険にさらされることも、そう珍しくはなかった。
 ―――そして夜深は、生きるために実の母親を殺した。
 それは、マンションのベランダから突き落とそうとする母親に抵抗した結果の、事故のような物だったのだが、それで夜深は一人になり、国立の孤児院に入れられた。
 夜深は同年代の少女と比べてかなり大人びていたし、生まれつき整いすぎる程整った顔立ちをしていたのだが、それは『男を油断させるための武器』として評価され、結果、暗殺等の『裏の仕事』に就く子どもを育てるための施設で育てられることとなった。
 実際は、夜深は母親の行為ゆえに、表情と言えるモノを失っていた―――つまり、男を騙し討ちにするにはあまりに不向きだったのだが、生まれつきの運動能力や天性のバトルセンスは、それすら必要としないほどだった。
 ―――そう、『あの事件』の実行犯に選ばれるほどに、優れていたのだ。

「―――流川さんは―――その提案を、受け入れたのね・・・?」
 綾峰はやや震える声で問うた。
 対する高橋は、張り付いたような笑みを浮かべたままで答える。
「ええ。たった三年一緒にいただけのクラスメイトに情が移るような人ではないでしょう、彼女は?」
「・・・ええ・・・そうね・・・」
「・・・昨日、流川さんの家にお邪魔して、彼を人質に取ったとお伝えしたんですけどね・・・『それくらい、宗介の無事と引き換えなら安い仕事だ』と、こうですからね。もっとやる気を出してくださると思っていたんですが・・・」
 ふぅ、と小さく息を吐き、高橋は目を細めた。
「・・・校舎前での待ち伏せも一人で終わりでしたし、今も―――まぁ・・・戦闘準備だと解釈すれば、文句をつけることはできませんけど・・・」
 明らかに不満そうなその表情に、綾峰は恐怖に近いものさえ感じ取った。
「・・・っ、私、もう行くわね・・・・・・そろそろ朝食かしら」
「はい、お疲れ様です。朝食は6時の放送後ですから、まだ3時間ほどありますけど」
「っっ・・・」
 にこやかな高橋の顔を見ないようにして、綾峰は部屋を後にした。

 虐待の痕や訓練の過程を示す傷は、無数に夜深の体に浮き上がっていた。
「・・・・・・・・・・・・」
 夜深は無言でその一つを指でなぞり、小さく息をついた。目を細めて傷を見る―――睨むように。
 だがそれもわずかな時間で、夜深はすぐに着替えに戻った。
 自分の旅行鞄から取り出した長袖のTシャツに袖を通し、下もぴったりとした長いズボンに替える―――どちらも、漆黒の色をしていた。
 前日に高橋から、『プログラム』実施の知らせを受けてはいたが、カッターナイフ程度の『武器』さえ所持は許されていなかった。銃器や防弾服など持っての他だ。
 夜深は同じ黒のコートを上から羽織り、その裏に池田勇から奪ったグロックを忍ばせた。17+1発の銃弾はフル装填してあるし、同梱の予備マガジンの用意も忘れていない。
 そして――左耳に、夜目にも目立つ、細長い雫形のイヤリング。 深紅の色をしたそれは、さして目立った悪行もしない夜深を『不良』と言わしめた要因の一つだった。
何度教師に注意されようと(最も水戸洋平グループとの衝突以来、そんなことをする教師などいなくなったのだが)、外すことをしなかったそのイヤリングは、この極限状況下でも変わらず夜深の左耳に下がっていた。
戦いの邪魔になるはずのイヤリングを、しかし夜深はちらりと視線を送っただけで、外すことなく用意を終え、立ち上がった。 
(―――宗介―――)
 わずかに残された感情。それが、夜深を動かしていた。

 ―――かつて、ある中学校で行われたプログラムにおいて、夜深と似た性質を持つ生徒がいたという。
 そのプログラムは、担当教官殺害・生存者2名(もちろん、全国指名手配中だ)という異常な結果に終わったことで知られているのだが、同時にプログラム史上最多の殺害人数が記録された会でもあった。
 その生徒は、完全に感情を失っているようだった、と推測されている。盗聴の記録によると、ゲーム中に彼が誰かと言葉を交わしたのは一度だけで、しかもゲームに乗るかどうかを、コインの裏表で決めたらしい。
 だが、そのクラス生徒は、まだ幸運だったと言える。結果的にはゲームに乗ったとはいえ、それは二分の一の確率に託されていたのだ。
 だが夜深の場合―――わずかに残った宗介への感情ゆえ、選択肢はなかった―――夜深がゲームに乗ることは、百パーセント確実に、決められていたのだから。
 ―――そう、高橋の手によって。



back
top
next