7:違う存在


「さすがは矢野君だよね・・・このタイミングで避けられるなんて、思わなかったよ」
 聖戯はこともなげにそう言った。
 顔は彼に向けたままで、横目を使って義幸は「それ」を確認した。
 ――柔らかい土に突き刺さるそれは、細く長い矢だった。弓道部の生徒なら扱い慣れているであろう――最もこのクラスに弓道部員はいないが――和弓、と呼ばれるものだ。
 そしてそれを放ったであろう弓は、聖戯の左手に握られていた。
(避けたんじゃない)
 義幸は思った。たまたま頭を下げていただけだ。そうでなければ、その矢はこめかみ辺りから、彼の頭蓋を貫いていただろう。
「お前こそ、な」
 短く告げ、向けた銃をアピールするように角度を変える。
「油断していたとは言え――普通じゃないだろ。こんなに落ち葉や小枝が多い、しかも足場が悪い斜面で足音ひとつ立てないなんてよ」
 目を細めて睨みつける義幸の言葉に、聖戯はわずかに眉を上げ――笑った。
「・・・ふふっ。本当に凄いね、君は」
「大したことじゃないだろ・・・お前からすれば、だが」
「いや、凄いよ。『普通の生徒』でここまでの洞察力を持ってるなんて・・・ね?」
 語尾を上げ、覗き込む様に義幸の顔を見る。向けられた銃口は、全く気にしていない――それが見えていないかと思うほどの余裕さだ。
「普通の、か」
「うん、そう。・・・矢野君、君は気づいてたんだろう?僕が・・・君達とは違う、ってコト」
「・・・まぁな」
 そう、義幸は気づいていた。何となくだが、彼――鯊谷聖戯が、自分達とは違う存在であることに。
 それは根拠も何もない、いわば『直感』に近いものだったが、義幸は確信していた。誰に口にすることもなかったが、心に刻んでいた。
 例えば――こういう状況になった時、こいつを信用してはいけない、と。そして同様に、流川夜深についてもそう警戒していた。
「お前は・・・いや、流川もか・・・?お前ら、一体何なんだ・・・?」
 聖戯はふっと息を吐いてわずかに視線を逸らし――また義幸を見据え、告げた。
「大東亜を裏から支える者・・・ってとこかな」

 軍人の息子に生まれ、幼少から格闘技や殺人術を仕込まれて育った聖戯に与えられたのは、夜深のような暗殺の任務ではなく、諜報活動――つまり、スパイ任務だった。
 反政府活動の疑いがあるが、国にとって有益なため簡単に処刑できない場合。米帝及び他国とつながっている可能性がある場合。
 そして――今回の様に、プログラムを破壊し参加生徒を連れ出して政府に楯突こうとする、プログラム妨害組織の情報を集める場合。
 優しげで他人に警戒心を抱かせない(義幸は例外だったようだが)雰囲気と天性の演技力、そして知性の高さを十分に役立て、聖戯は大東亜政府に楯突く者を次々と破滅させていった。
 直接手を下したことはそう多くないが――初任務についてからの3年で、聖戯によって死に追いやられた者はかなりの人数になっているだろう。
 今回も、妨害者が現れたら脱出希望を装い、合流して情報を探り出すことになっている。ただし十分に聞き出した後は捕らえるか殺すかしなければならないので、妨害者の仲間になり得る者は殺せるうちに殺しておかなくてはならない。
 義幸を狙ったのは、そういう理由からだった。

「本当は機密事項なんだけどね――君は僕の正体を見抜いてたみたいだから、特別に教えてあげるよ。僕や流川さんは、、政府が抱えるエージェント――裏で暗殺やらを請け負う、特殊な軍人なんだ」
「暗殺・・・だと?」
「そ。・・・僕の場合は暗殺より他の仕事がメインだったけどね――流川さんは、本業の暗殺者だよ」
 微笑を絶やすことなく、聖戯は淡々と語る――どこか高橋に似た感じがした。
「・・・そんなこと教えてくれるってことは・・・当然、俺はここで殺すつもりなんだろうな?」
 義幸は表情を変えず、睨みつける視線を緩めることもせず、聖戯の反応を見るように問うた。
「・・・ふふ、やっぱり君は凄いね。そうわかっていながらそれだけ冷静にしていられるんだから・・・ちょっと惜しいけど、仕方ないからね。君の言うとおりだよ」
 その言葉を聞くと同時に、義幸はSTIイーグルの引き金を引いた。
 パンッ・・・・・・
 乾いた銃声が、闇に響く――しかし、そこに聖戯の姿はなかった。
「・・・・・・ッ」
 小さく呻いて右に体を向ける。そこには聖戯が、先ほどと変わらぬ様子で立っていた。
「残念でした。・・・銃使うのは初めてだよね、当たり前だけど。そんなんじゃ僕には当てられないから覚悟して・・・」
 パァン。
 再びSTIイーグルが火を吹くが、またもや聖戯の姿は消えている。
「だから、無駄だって・・・」
 後方からの声に、振り返りざまにもう一発。しかしそれも当たらない。
「・・・悪足掻きはやめなよ・・・カッコ悪いね、君らしくもない」
「だま・・・っ」
 言い切る前に、喉に何かが押し当てられた――感触からすると、ナイフの刃だろう。ひんやりと、薄い金属の気配が伝わってきた。
「はい、チェックメイト」
 背中にひたりと佇む聖戯が、変わらず微笑んでいるのがわかった。
「支給武器はさっきの弓なんだけどね・・・さっき、その辺の民家で見つけてきたんだ。結構、役に立ったね」
「・・・っ・・・」
「・・・じゃ、残念だけどお別れだね」
 すうっ。背中に、汗が伝った。
「――バイバイ、矢野君」
 ぐっとナイフに力が入る。
(――今っ)
 一か八か、義幸は後ろに体重をかけて倒れ込んだ。
「ッ!?」
 聖戯が息を飲むのがわかった。ぐらっ、不意にバランスを崩した二つの体は、地面へと倒れこむ。
 どさっ。鈍い音がして、二人は柔らかい土の上に投げ出された。
(・・・・・・つっ・・・)
 聖戯の手が緩んだ隙に首とナイフとの間に差し入れた右手が、激しく痛んだ。かなり深く切ってしまったらしい。
 しかし痛みに構っている暇はない。義幸は急いで立ち上がると、デイパックを拾う暇さえなくみかん畑の奥へと駆け出した。
「――油断した――かな」
 苦笑気味に聖戯はその背中を見送り、少し右、土の上に投げ出された黒い塊――義幸が落として行った銃を、拾い上げた。



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